『雁』紹介と感想:岡田に見えている範囲
『雁』は、東京の町を舞台に、お玉と学生の岡田とのかすかな接点を描く小説だ。お玉の暮らしの事情と、通りを歩く岡田の時間が並び、同じ出会いが二人に同じ意味を持つとは限らないことが見えてくる。岡田にとっての日課が、お玉にとっては特別な時間になる。この非対称さが物語の静かな緊張を生んでいる。片方の気持ちを読者が知っていても、もう片方へそれを届けることはできない。悪意のない人同士でも、知らないというだけですれ違うのだ。岡田を冷たいと責めるより、見えていない事情の大きさを考えると、普段の自分の歩き方まで少し気にかかる。大きな約束が交わされる前の、期待だけが育つ時間に心を引かれた。すれ違いを運命の一言にせず、それぞれの生活と知り得ることの違いから読み直したくなる作品だ。