『博士の愛した数式』紹介と感想:覚えている側の時間
『博士の愛した数式』は、新しい記憶が長く続かない数学者と、家政婦、その息子の交流を描く小説だ。数は難しい問題としてだけでなく、人と人が言葉を交わすきっかけとして現れる。記憶の続き方が違う三人には、同じ一日が同じようには積み重ならない。家政婦にとって昨日の続きでも、博士には改めて始める関係になる。その繰り返しには切なさがあるが、相手に合わせ直す細かな工夫もある。覚えてもらえることを関係の唯一の証しにしない姿勢が心に残った。時間の非対称さを消さずに、一緒に過ごす方法を探る物語として読める。一緒に過ごしたことを同じように覚えていなくても、その時間の価値までなくなるわけではない。数の美しさと日々の気遣いが結びつき、関係を続けることの意味を静かに考えさせる。(作品情報:新潮社)