『高野聖』紹介と感想:水の場面の安らぎと不安
水に触れる場面には、旅で傷んだ身体がほどけるような心地よさがある。けれども、安心して身を任せることが、同時に警戒を解くことにもつながる。気持ちのよさと怖さを別々にせず、同じ感覚の中に重ねる描き方が鮮やかだ。読者も安堵しながら、その安堵が危険へ近づくのではないか…
文学と、日々のあいだ。
日本の近代から現代までの文学作品を紹介し、さまざまな観点から感想を綴るテキストオンリーのブログです。
水に触れる場面には、旅で傷んだ身体がほどけるような心地よさがある。けれども、安心して身を任せることが、同時に警戒を解くことにもつながる。気持ちのよさと怖さを別々にせず、同じ感覚の中に重ねる描き方が鮮やかだ。読者も安堵しながら、その安堵が危険へ近づくのではないか…
李徴は自分の才能を大切にするあまり、それが十分でないと知られることを恐れる。試されなければ希望を保てるが、同時に作品を他人へ届ける機会も失う。この循環が、特別な詩人の話だけには思えなかった。自信と臆病さは反対のものではなく、互いを支えることがある。才能の有無を…
子どもたちの対立は小さな喧嘩のようでいて、金銭や家の立場が関わっている。大人になる前から、すでに世間の序列を覚えてしまっているのだ。その一方、ふとした親切や気遣いは、その区分を越えようともする。無垢な子ども時代が突然終わるというより、遊びの内部に初めから大人社…
鼻を短くするための手順は、真剣であるほど滑稽に見える。身体を具体的に扱う描写が、内供の切実な願いと読者の笑いを近づけているからだ。本人にとって重大なことが、外からは妙な作業に見える。この視点の差が小説の核なのかもしれない。笑って読み進めた後、その笑いも周囲の人…
山の宿は日常から離れた場所に見えるが、そこにいる人々まで過去や社会から自由になるわけではない。画工が静かな景色に浸っているあいだにも、人間関係は続いている。旅を完全な逃避として描かないところが印象に残った。自分には一時の風景でも、誰かには生活の現場である。眺め…
お玉が置かれた環境を考えると、誰かの訪れを待つ時間の重さがよくわかる。出会いへの期待は恋愛感情だけでなく、現在の暮らしの外側を想像することにもつながっている。彼女を美しい姿として眺めるだけでは、待つ側の切実さは見えてこない。何を自分で選べて、何を他人に決められ…
作品が完成することは、一つの達成ではある。けれども、その美しさによって制作の過程が帳消しになるわけではない。読者が圧倒される瞬間にも、失われたものの重さが残る。その両方を同時に感じさせるため、簡単に称賛も否定もできなくなるのだろう。美の価値を論じる前に、それが…
葉子は島村の視線の中で、声や表情の印象が強く残る人物だ。詳しく理解する前に鮮やかな像として心へ入ってくる。その描き方に惹かれる一方、印象の強さと人物への理解は別だとも感じた。読者も島村と同じように、美しい断片から相手全体を想像しているのかもしれない。何が語られ…
良秀は絵に対して妥協しない人物として描かれるが、娘への思いも持っている。その二つが同じ人の中にあることが、物語を単純な芸術家批判にしない。優れた作品を作る力が、生活の中の善良さと一致するわけではないのだ。父親としての感情と絵師としての欲求がどこでぶつかるかを追…
代助の考えを追うほど、三千代が置かれた生活の重みを忘れないようにしたいと思った。恋愛の決断は二人に関わるが、失うものや選べる道が同じとは限らない。彼女の言葉が少ない場面でも、何も感じていないわけではない。沈黙を代助の理想で埋めずに読むことが必要だろう。愛情を自…