『十三夜』紹介と感想:父の説得の重さ
父の言葉には娘への思いがある一方、家や子どもの将来を優先する考えもある。悪意ではないからこそ、お関がそこから離れるのは難しい。相手のためという言葉が、相手の苦しみを後回しにすることもあるのだろう。説得が筋道立っているかだけでなく、誰が何を耐えることになるかを考…
文学と、日々のあいだ。
日本の近代から現代までの文学作品を紹介し、さまざまな観点から感想を綴るテキストオンリーのブログです。
父の言葉には娘への思いがある一方、家や子どもの将来を優先する考えもある。悪意ではないからこそ、お関がそこから離れるのは難しい。相手のためという言葉が、相手の苦しみを後回しにすることもあるのだろう。説得が筋道立っているかだけでなく、誰が何を耐えることになるかを考…
赤シャツや野だいこといった呼び名は、登場人物を鮮やかに印象づける。同時にそれは、坊っちゃんが相手をどう分類したかを示す札でもある。一度ついた呼び名から離れて相手を眺めるのは、読者にも難しい。面白いあだ名に笑った後で、人を短い言葉に閉じ込める危うさが気になった。…
住まいと周囲の地形を意識すると、二人の暮らし方が視覚的に感じられる。外に社会があるのに、そこへ滑らかにつながっていないような感覚だ。家は身を守る場所である一方、閉じこもる場所にもなる。毎日帰れる場所があることを安心として読みながら、その安心が何から距離を取るこ…
「吾輩は猫である」は、近代日本の家庭と知識人社会を、猫という第三者のまなざしを通して斜めから切り取る痛快な観察記だ。人間を超越したつもりの猫が、実は人間臭い虚栄や嫉妬を映し返すのが面白い。苦沙弥先生らの会話は饒舌で、無駄話の渦にこそ明治期の…
物語を伝える人物は、大殿に近い立場から良秀を見る。そのため評判や弁明の言葉には偏りがある。読者は語られた内容を知るだけでなく、語り手自身が何を見たくないのかも考えることになる。説明を重ねるほど隠し切れないものが浮かぶ構造が巧みだ。文章の表面では誰が非難されてい…
主人公は迷いを長々と説明せず、腹が立てば腹が立ったと語る。その速度に乗ると、こちらも出来事を即座に判断したくなる。けれども、彼の断言がすべて公平かと考えると、首をかしげるところもある。読みやすさは内容の単純さではなく、語る人物の強烈な調子から生まれている。勢い…
丑松は子どもたちに向き合う仕事をしているため、自分の言葉と生活のずれに敏感にならざるを得ない。ただし、出自を公にしないこと自体が不誠実なのではない。そう思い詰めるまでに追い込まれる状況が問題なのだと感じた。教師としてよくありたい願いが、安心して働ける条件と結び…
実家での会話と帰り道の再会は、同じ夜でも違う可能性を見せる。前半では家族の関係が選択を狭め、後半では過去の縁が別の生を想像させる。それでも道は現在の生活へ続いている。この構成を意識すると、物語の終わりが問題の解決ではないとよくわかる。ほんの一晩を描くことで、そ…
題名からは静かな衰えを想像するが、読んでいると、食べることや住むことの具体的な問題が浮かんでくる。家の名や過去の豊かさは、これからの生活を代わりに営んではくれない。美しい終わりとして眺める視線を、人物たちの生への要求が押し返す。その抵抗が心に残った。失われるも…
画工が求める非人情は、人間への無関心と同じではないように思う。感情に巻き込まれず、いったん絵を見るように世界を眺めたいという願いなのだろう。ところが実際に出会う人には、それぞれの事情と動きがある。姿を美しく捉えたつもりでも、その人の生は画面の外へはみ出す。距離…